封印された激ヤバ話、未確認飛行物体目撃報告

本当なのか、信じるのはあなたしだいですよね。

第二次世界大戦中に、連合軍のパイロットが目撃した未確認飛行物体や奇怪な光球などは“foo-fighter”と呼ばれている。しかし、多くの未確認飛行物体が目撃されているにも関わらず、その事実が公になることはなかった。今回は第二次世界大戦中に目撃された、あまり知られていない“foo-fighter”の目撃談をご紹介しよう。

■原子力発電所に現れたUFO

1945年の夏、米国ワシントン州パスコで若手パイロットの訓練を行っていたローランド・D・パウエルは、パスコから100キロ離れた原子力発電所の上空で高速移動する謎の物体をレーダーで捉えた。その原子力発電所の責任者でもあったパウエルは戦闘機に乗り込み、同州ハノーバーで謎の物体を確認。後にパウエルはその物体について「飛行船3つ分ほどの大きさで流線形、窓から定期的に分散する何らかの蒸気を見た」と語っている。謎の物体は高度約19,800メートルを移動しており、高度11,300メートルまでしか飛べない戦闘機は、その物体について詳しく知ることはできなかった。その後、謎の物体はさらに上空へと高速で消えていったという。

■飛行機と並走したUFO

一方でこちらは謎の物体に接近したという記録。1943年、パイロットのゲリー・ケーシーは米国カリフォルニア州の上空を飛んでいた際、サンディエゴ山の方向に謎の物体を発見する。謎の物体はケーシーが操縦する飛行機に接近し、すぐ隣を並走。ケーシーはカメラを構えたが「軍が秘密裏に行っている“プロペラが無い航空機”の実験ではないか」と考えた。軍の秘密を撮影してしまうと多額の罰金が発生するので彼は撮影を断念することに。その後、謎の物体は海に向かって蛇行し消えていったという。ケーシーは、謎の物体の最高速度は時速11,200キロに近いと推定している。

■米国基地に墜落したUFOと米軍が回収したUFO

UFO研究者のジェームズ・ハーダーは、1941年にメキシコのソノラでUFOが墜落し、米国海軍によって回収されたと述べている。ハーダーの調査によると、UFO捜査チームのメンバーを叔父に持つ男性が、エイリアンの死体を持ち上げる叔父の写真を目撃。その叔父は「1mほどの背が低いラグビーボールのような形の死体だった」と述べたそうだ。また、翌1942年にはジョージア州北部の米軍基地にUFOが墜落し、基地に大きな被害をもたらしたといわれている。著名なUFO研究家レオナルド・ストリングフィールドは、著書『UFO Crash Retrievals』で、この事実を公に。この墜落事故に関する証拠はいくつか上がっているが、正式なコメントはいまだ出されていない。

■エイリアンを助けたフランス人

1943年、バルト海岸近くにある労働収容所に務めていたフランス人のダニエル・レジェールは、砂の上に突き出た奇妙な物体と、その物体の前にいた金髪で全身が黒い女を見つける。その女はレジェールには理解できない言葉で話しかけてきたが、レジェールはその動作から砂に埋まった物体を取り出したいのだとわかった。10分後、レジェールと女はその物体を砂から取り出すことに成功。すると、女は自身のベルトにあるボタンに触れ、奇妙な物体の扉を開けて乗り込み、光を放ちながらゆっくりと上空へ消えたそうだ。

■政府の公式文書で報告された巨大UFO

イギリス国防省の報告によると、1942年にイタリア・トリノで任務についていたランカスター爆撃機の乗組員全員が90mほどの巨大空中船を目撃したという。その巨大空中船の船底には4つの赤いライトがついていたらしく、毎時800キロほどで移動。ライトが消えるまで約5分間飛行した後、突如消えたそうだ。さらに報告書には、爆撃機の船長は3カ月前にも同じ空中船を見たと記載が。当時は軍が秘密裏に行う実験機だと思われていたが、60年以上が経った現在まで、その正体は謎のままだ。

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