自分に才能なしと嘆く人の残念な勘違い

「あの人が成功できたのは才能があったからでしょう?」

「もともとアタマがよかったんでしょ?」

想定外の成果が出たときや、自分が絶対にかなわない人に出会ったときに、割と人は「才能」とか「地アタマ」という言葉を使うようです。

 二次論的に人を分ける考えは間違いです。

才能というのは、結果でしかないということです。いわゆる「才能がある」と言われている人たちには共通点があります。

彼ら、彼女たちはみんな努力をしていることです。

多くの人は、あまり努力をしなくてもできちゃう人のことを「 才能がある」と言いがちではないでしょうか。
でも、その考え方が根本的に間違っていることにきづいてほしいです。

人間というのは他の動物に比べて本質的にもともと頭がよくて、脳の構造から見てもとても優秀です。つまりすべての人が、優秀と言われる可能性をもともと持っているのです。

だとしてら、、いったいどこで差がつくのでしょうか。

 「才能がある」と言われている人たちの「正しいやり方」

勉強のやり方が間違っていたり、うまく継続できなかったり、動機づけができなくて意欲が湧かなかったり、、など、いろいろな理由で、上達していかないことがあるんだということです。

 自分に合っていない、ふさわしくない場所でいくら頑張っても、物事は身に付きません。

「才能がある」と言われている人たちは、その人に合った動機づけがまずあって、そこから正しいやり方を選んでコツコツと努力を積み重ねています。

そしてきっちりと結果を出して、そのときに初めて「才能がある」という状態になる。正確に言えば、「才能がある」と言われるようになる。

 周りの人たちは、その人が努力してきた部分をすっ飛ばし、目にみえている結果だけを見て「だって地アタマがいい人だからでしょ?」「才能のない自分にはできるはずがない」「才能は生まれつきだから」と頭ごなしに決めつけてしまいます。

しかし、それは間違いです。

「氷山の一角」という言葉がありますが、水面よりも上に出ている部分は、全体の約1割だと言われています。その下の9割に、血のにじむような努力があってこそ、氷は浮いていられるのです。

世間では、どんな人であっても、結果が出たら「元がいい」「地アタマがいい」と言われ、結果が出なければ「もともと才能がない」と言われるのです。受験までに驚くほど偏差値が上がっていたとしても、です。

人は結果しか見てくれない、結果からしか判断しない、ということなのです。

このように多くの場合、「結果」が才能の有無の判断基準になります。これはつまり、結果によって、過去の解釈もすべて変わってしまう、ということでもあります。面白いことに「いい結果」が出ると、その人の過去にやっていたことが、すべてポジティブな見方でとらえられるようになってしまいます。

 結果を見て、それまでの認知が変わってしまい、新しい物語が出来上がる。このときのキーファクターとなるもの、大きなウェートを占めているものが、まさに「才能」なのです。

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